みなさん、こんにちは。
先日私は、ペットを迷子にしてしまい、必死に探している飼い主さんに向けて、「今は責めるのをやめて、みんなで探すのを応援しましょう。責めることは捜索の邪魔になってしまいます」
という動画をSNSに多方面で投稿しました。
多くの方に温かい共感をいただいたのですが、実はその動画に、このようなコメントが届きました。

『でも、私にはロストなんてありえない』
傷ついている人を前にして、あるいは「責めるのをやめよう」という発信に対して、なぜわざわざ「自分にはありえない」と主張しにくるのでしょうか。
今回は、このコメントをきっかけに、他人の失敗を責めてしまう人、そして「自分は絶対に失敗しない」とアピールする人の心のメカニズムを、心理学の視点から淡々と紐解いていきます。
YouTubeにて解説していますが、記事の方が解りやすいよ~という方はこのまま下にスクロールして下さい。
①なぜ他人の失敗を激しく責めるのか
まず、他人の失敗を強く責めてしまう人の背景から見ていきましょう。
心理学では、幼少期の家庭環境や教育が、大人の物事の捉え方に大きな影響を与えると考えられています。
このタイプの多くは、子供の頃に「失敗は絶対に許されない」「間違えるのは悪いことだ」と、非常に厳しくしつけられて育ってきた背景を持っていることがあります。
たとえば、子供がうっかり「花瓶」を割ってしまったとき、親からどんな言葉をかけられたかで、その人の「失敗への捉え方」は180度変わります。
もしも、親から「何てことするの、本当にダメな子ね!」と、失敗そのものや人格を激しく否定されて育つと、子供の心には「失敗=自分の価値がなくなる恐怖」として深く刻まれてしまいます。

一方で、「手は大丈夫だった?ケガはない?次は落とさないようにどうしたらいいか、一緒に考えようね」と、解決に目を向ける言葉をかけられて育った子供は、「失敗は次に活かせばいいものだ」と、安心して失敗を受け入れることができるようになります。

他人の失敗をどうしても許せず、激しく叩いてしまう人は、失敗とは「自分の存在や価値を脅かす、とても怖いもの」として記憶されています。
そのため、大人になってもその価値観から抜け出せず、他人の失敗を見たときに「ルールを破っている」と感じ、強い拒絶反応が生まれてしまいます。 自分が必死に守ってきた「失敗してはいけない」という苦しいルールを、目の前で破っている人が許せなくなってしまうのです。

②「責めないで」を「自分への非難」と受け取る仕組み
ここで、先ほどのようなコメントが生まれる、興味深い心の仕組みが働きます。 周囲が「今は責めるのをやめましょう」と全体に向けた注意喚起をしたとき、なぜ「私にはありえない」とわざわざ言ってしまうのか。
ここには心理学でいう「認知のバイアス」、つまり受け取り方の偏りが関係しています。
日頃から「正しくあらねばならない」と強く自分を律している人は、「責めるのをやめましょう」という言葉を、「今責めているあなたのやり方は間違っている」という、自分への個人攻撃として受け取ってしまう傾向があります。

「自分が非難された」と脳内で変換してしまった結果、「私は悪い人間じゃない、完璧に対策している人間なんだ」と、自分を守るための防衛反応として、あのコメントを書き込まずにはいられなくなるのです。
③「絶対失敗しない」と言う人の脳内
また、「自分にはありえない」と発言する背景には、他にもいくつかの心理的な原因があります。
1つ目は、「ダニング=クルーガー効果」です。 これは、全体の難易度や予期せぬリスク、不可抗力という視点が見えていないがゆえに、「自分なら完璧にできる」と過大評価してしまう脳のクセです。
初心者ほど:全体像が見えていないため、「自分はすべて知っている」と勘違いして自信満々になる(馬鹿の山)
中級者ほど:奥深さを知ることで自分の未熟さに気づき、自信をなくして絶望する(絶望の谷)
上級者ほど:自分の実力を正しく把握し、むしろ「自分はまだまだだ」と謙虚になる(継続の台地)
一言で言えば、「能力が低い人ほど自分を過大評価し、高い人ほど過小評価する」という認知の歪みです。

2つ目は、心理学で「防衛機制(ぼうえいきせい)」と呼ばれる心の防衛システムです。 一見、自信満々に見えますが、その根底にあるのは「失敗への強烈な不安」です。
「もし自分が失敗したら、全てを失ってしまう」という恐怖を抱えているからこそ、現実を強く否定してでも「自分は完璧だ」という鎧を着込み、必死に自分を保とうとしているのです。

本来、トラブルが起きたときに最優先されるべきは、問題の解決や当事者への配慮です。
しかし、このとき彼らの関心は、目の前の問題ではなく、すべて「自分の正しさを守ること」に向いています。
これは、誰かに「あなたは正しい」と認めてもらわなければ安心できない、脆い自尊心の裏返しでもあるのです。
■ 「責める」という行為が意味すること
心理学の世界には、「他者への評価や態度は、自分自身の心を映し出す鏡である」という考え方があります。

誰かの失敗を激しく責め立てたり、「自分は絶対にそんなヘマはしない」とわざわざ書き込みに来る行為は、一見、相手を裁いているように見えます。
しかし実際には、
「私は他人の失敗を受け入れるほど、心に余裕がありません」
「私は自分を完璧だと思い込まないと、不安で潰れてしまうんです」
という、自分自身の内面のシグナルを周囲に発信していることに他なりません。
つまり、過剰な批判や「私には失敗はありえない」というマウントは、その人自身の「心の余裕のなさの自己紹介」になってしまっているのです。

SNSでトラブルが起きたとき、いま本当に必要なのは、当事者のマウント合戦ではありません。
一羽でも多くの鳥たちが安全に、大好きな飼い主さんの元へ帰れることです。
本当に心の自立ができている人は、自分の正しさを証明するために誰かを踏み台にしたり、必死に探している人の邪魔をしたりはしません。ただ静かに、役に立つ情報だけを共有するか、そっと見守るという選択をします。
もし、今この瞬間に「何か一言、責めてやろう」「自分の方が優秀だと教えてやろう」とスマートフォンを握りしめている人がいるならば、少しだけ立ち止まってみてください。
その書き込みは、鳥を救うためのものでしょうか?
それとも、自分の不安を埋めるためのものでしょうか?
わざわざ声を大にして「自分は絶対に間違えない」と言い張る行為そのものが、周囲からは「余裕のない心の裏返し」として見えているのかもしれません。
もしみなさんの周りやSNSで、そのような言葉を見かけても、同じ土俵に立って怒る必要はありません。「ああ、この人は今、自分を守るために必死なんだな」と冷静に捉え、私たちは私たちができる「温かい応援」にエネルギーを使っていきましょう。
また、もしここまで読んでいただき、「自分はそんな考え方だった」という事にきづいたなら今からでも遅くないので、少しでも認知の歪みを修正してもらえたら、もっと幸せな方が増えるのではないでしょうか。
無意味な言い争いも悲しい結末も、きっと人の考え方ひとつで無くなると思うのです。
誰かの失敗を許せる心の余白が、きっと、誰かの救いになります。
不完全な私たちが支え合える、そんな優しい世界でありますように。
動画にて投稿もしています↓




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