大切な愛鳥が迷子(ロスト)になってしまったとき。 飼い主さんは今、どんな気持ちでいるでしょうか。
「どうしてあのとき、窓を閉め忘れたんだろう」 「なんでもっと気をつけなかったんだろう」
寝る間も惜しんで必死に探し、自分を責め、ボロボロになりながらも「1分1秒でも早く見つけたい」と、藁をもすがる思いでSNSにSOSを書き込んでいるはずです。
しかし悲しいことに、そうした投稿に対して「飼い主の不注意だ」といった手厳しい非難がぶつけられたり、さらには「目撃情報を発信してくれた善意の人」まで攻撃されてしまう光景を、SNSではよく見かけます。
こうした「責める言葉」は、果たして何かを生み出すのでしょうか?

■ 労災の現場で、怪我人を責める人はいない
ここで、ある例え話をさせてください。
もし仕事中に大怪我をしてしまった人がいたら、どうでしょう。
本人は痛みに苦しみ、会社に迷惑をかけたことに激しい自己嫌悪を感じているはずです。
そんな入院先の本人の元へ駆けつけて、「お前、何やってるんだよ!」と追い詰めるように責め立てる人は、まずいませんよね。

まずは「一刻も早く治ること」を祈り、全力で治療をサポートする。
二度と同じ事故が起きないようにするための対策は、状況が落ち着いてから冷静に検討する。
起こってしまったトラブルを解決するために、今できる最善の行動をとる。
それだけのはずです。
ペットのロストも、全く同じではないでしょうか。
今必要なのは、飼い主さんを責めることではなく、「どうすれば目の前の小さな命を救えるか」を一緒に考えることです。
■ 「なぜ保護しなかった?」善意の目撃者まで責める理不尽
さらに胸が痛むのは、通りすがりに鳥を見かけ、「インコがいました!」と親切にSNSに目撃情報を投稿してくれた人に対する攻撃です。
その投稿に対して、一部からこんな心ない声が飛ぶことがあります。
- 「なんでその場で保護してあげなかったの?」
- 「せめて安全な場所に確保しておいてよ!」
これでは、良かれと思って情報を出してくれた人があまりにも報われません。
そもそも、一般の人にとって小さな鳥を傷つけずに保護するのは、非常にハードルの高いことです。
「下手に触って逃がしてしまうかも」「怪我をさせてしまうかも」と躊躇するのは当然ですし、鳥を保護する義務など誰にもありません。
「見つけて、わざわざ情報を発信してくれた」というだけで、それは命を繋ぐための素晴らしい善意のはずです。
その善意を責め立ててしまっては、本末転倒ではないでしょうか。

■ 責める空気は、救える命を遠ざける
周囲への批判や攻撃があまりにも大きいと、SNSは恐怖の場所になってしまいます。
- 飼い主さんは、叩かれるのが怖くてSOSを出せなくなる。
- 目撃した人は、「下手に書いたら責められる」と投稿をためらうようになる。
こうして情報が遮断されてしまった結果、いち早く協力すれば保護できたはずのチャンスをみすみす逃し、一番守るべき「小さな命」が危険にさらされてしまうのです。
批判やお説教は、愛鳥が無事に見つかり、みんなの心が落ち着いた後からでも十分間に合います(というか、本人が一番痛感しているので、他人が言う必要すらありません)。

■ なぜ、人は攻撃的になってしまうのか?
悪気なく「いなくなっちゃった〜」と笑っている飼い主さんも、目撃者もいません。
それなのに、なぜそこまで攻撃的になってしまう人がいるのでしょうか。
もしかしたら、その背景には「その人自身が育ってきた環境」が関係しているのかもしれません。
自分が過去に失敗したとき、周りから「ほら見たことか」「だから言ったのに」「なんてダメな奴だ」と、厳しく責められて育った経験がある。
そうした心の傷や、「正論で人を正さなければならない」という思い込みが、無意識のうちに他者への攻撃として表れてしまっている可能性もあります。
自分がされて嫌だったことは「反面教師」にして優しくありたいものですが、無意識の連鎖に気づくのは、簡単なことではないのかもしれません。

■ 心理学から順に紐解く
心理学の専門用語を使って表現すると
- 投影(projection)
- 外在化(externalization)
- スケープゴーティング(scapegoating/生贄化)
- 内在化された批判的養育者(internalized critical parent)
- トラウマの再演(repetition compulsion)
- 攻撃者との同一化(identification with the aggressor)
このあたりで説明されることが多いです。
噛み砕くと、
「子供時代に“失敗=人格否定”として扱われた人が、
自分の中にある強烈な“責める声”を他人へ向けて再生してしまう」
という構造です。
例えば毒親環境では、
- ミスしたら怒鳴られる
- 弱っている時ほど責められる
- “困っている人を助ける”より“誰が悪いか探す”家庭文化
- 共感より正しさ優先
になりやすい。
すると子供は、親に言いたかった
- 怖い
- 悲しい
- 理不尽
- 助けてほしい
を抑え込んで、
「悪いのは失敗した側だ」
「責められるのは当然だ」
という価値観を内面化して生き延びます。
その結果、大人になってから、
“弱っている他人”を見ると、
昔の自分の無力感や不安が刺激される。
でもその苦しさを感じたくないので、
- 「お前が悪い」
- 「管理不足」
- 「自己責任」
- 「被害者ぶるな」
と攻撃側に回ることで、
自分の不安を処理しようとする。
これが
攻撃者との同一化
や
トラウマの再演
に近い状態です。
もちろん、他人を責める人全員が毒親育ちとは限りません。
ただ、
「困っている人への共感より先に断罪が出る」タイプには、
- 恥への過敏さ
- 白黒思考
- 未処理の怒り
- 慢性的な自己否定
が背景にあるケースは珍しくありません。
心理学的にかなり短く言うなら、
「幼少期に受けた“条件付き愛情”と“人格否定型しつけ”を、他人に再演している」
子供のころに親からされて傷ついた接し方を、大人になった今、無意識のうちに周りの人に対してそっくりそのままやってしまっている、という悲しい連鎖になります。
■ 今、SNSが果たすべき役割
SNSという場所が果たすべき役割は、犯人探しや責任追及をすることではありません。
「1つでも多くの目撃情報を集め、1秒でも早く元の温かいお家に帰してあげること」。
情報をくれた人には「教えてくれてありがとう」、必死に探す飼い主さんには「無事に見つかりますように」と声をかけ合えるような、温かい協力の輪が広がる優しい世界であってほしいと願います。





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